キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられた【エペソ5:25】
この節が語ろうとしているのは、キリストが死んで罪人を救うために来られたことより、むしろ、主がご自身を愛のうちに捧げられたことです。ヨハネが語ったように、兵士たちが、十字架のイエス様を調べに来ました。兵士たちは、イエス様がすでに死んでいることを知って驚きましたが、横腹をやりでついてみると、血と水が噴き出しました。これは、キリストの働きの二つの面を象徴しています。すなわち、私たちを罪からあがなうために血を流されたこと、私たちにいのちの水を送ってくださることです。
罪のために死ぬだけでなく、愛のために死ぬのは、もっと大きなことです。キリストが死なれたのは、ご自身を私たちに渡すためでした。私たちが新しく生まれるために、欠かせないものがここにあります。私たちをキリストの一部としてくれるのは悔い改めではありません。罪の告白でも、私たちの信仰ですらないのです。それは、神の働きによって、私たちの中に分け与えられたキリストのいのちであり、これが私たちを教会に属するものとしてくれるのであって、その教会をこそ、主は愛され、ご自身を捧げられたのです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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