2015年10月7日

10月7日

ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです【エペソ5:27】

子供や若者にはしわがありません。しわが出るのは、次第に歳を取ってきたことのしるしです。しかし、主はご自身の教会のために、年を取らないいのちを備えられています。そこには、朽ちるものも、忌むべき過去もありません。主はすべてを、しみひとつない新しさの中に置かれることを望んでいます。ある日、主の前に立つとき、教会は、それまでひとつの罪も犯したことがないように見えることでしょう。神が永遠の計画のうちに定められたように、教会は完全にキリストと同じ姿となり、そこには人間の汚れも、罪の匂いすらなく、自分のいのちとしての主がおられるはずです。

その時には、しみひとつ、しわひとつないだけではなく、何ひとつ欠けたものはないのです。神は教会を、だれにも非難されることのない場所へと導いてくださいます。主の栄光を反映して、教会は完全な誉れに満ちたものとなっているでしょう。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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