2015年10月11日

10月11日

王は私を奥の間に連れて行かれました。私たちはあなたによって楽しみ喜び、あなたの愛をぶどう酒にまさってほめたたえ、真心からあなたを愛しています【雅歌1:4】

最後の一節のよりよい訳は、『清廉のうちに、彼らはあなたを愛します、』ではないかと思います。すなわち、『彼らのあなたへの愛には混じり気がない』という意味です。パウロはティモテに、『きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛』について書き送り、主イエス様が永遠の王であるとことを書き留めて、手紙終わりました(第一テモテ1:5と17)。ここが大切な点です。この王は、私たちをご自身との交わりに引き寄せてくださいました。そして、この事実から、新しく、全てを満たす愛が生まれてくるのです。

初めに、主に対して、王としての忠誠を誓ってはじめて、キリストを愛する魂の花婿と認めるようになるという、気持ちがここに表れています。義とされた罪人は、当然のごとく、恵み深き救い主を愛します。その後、成長して、主に近づくほどに、気づくことがあります。その人の献身と愛を混じり気のないものとするためには、支配される主であるイエスの定めに、自分の全てを捧げることです。この人は、『清廉のうちに』愛することを学んでいるのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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