2015年10月14日

10月14日

「わたしに何をしてほしいのか。」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです。」と言った【ルカ18:41】

本物の祈りではない言葉を並べて、神にくどくどと語りかけることのないよう、気をつけましょう。サタンが喜びとするのは、祈る時間を奪うだけでなく、散漫で空っぽの言葉を重ねさせて、私たちに時間を浪費させることでもあります。長く、退屈で決まりきった言葉を並べた多くの祈りは、時間を無駄に費やしているだけです。ひざまずいて祈るとき、自分が何を求めているのかさえ分からないなら、どうして神に応えていただけるでしょう?あなたは、価値ある祈りの時間を持ったと思い込んでいますが、罠に落ちていて、実のところ、何の祈りもしていないのです。

主はあなたにきくでしょう。目の見えないバルテマイに訊ねたのと同じ質問です、『わたしに何をしてほしいのか?』と。この質問に、はっきりと、明確に答えられますか?自分を鍛錬して、答えられるようになってください。祈るあいだも、心が散漫にならないように気をつけてください。時間を引き延ばすのはよくないことです。神に、あれこれと説明するのはやめましょう。短く、簡潔な言葉で、自分の願いを神の前に注ぎだしましょう。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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