2015年10月13日

10月13日

そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします【使徒6:4】

すべての職務、人類へのあらゆる奉仕は、司祭としての意味を失った時、崩れ去りました。まず初めに、神の臨在の中に入っていなければ、私も、信者の中の前に出て、御言葉を伝えたり、価値ある奉仕をすることはできないでしょう。

預言者の務めでありながら、司祭としての務めではないものがもしあれば、教会を打ち建てることはできないでしょう。右手にけがを負い、痛みを感じているとき、左手がそれを助けたいと思っても、自分から勝手に動くことはできません。意思の疎通は、かしらを通して行われるのであり、行動はかしらで始まり、かしらから制御されます。体に属していなければ、左手は何の役にも立ちません。兄弟のための奉仕もこれと似ています。他の部分に面倒をかけることを避けたいなら、かしらに命令されたままに行動すべきです。私たちは、神の臨在のうちから直接、奉仕に来るべきです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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