2015年10月21日

10月21日

しかし、どうしても必要なことはわずかです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません【ルカ10:42】

イエス様は決して、マルタに働くのをやめたほうがよいと言ったのではありません。実際に、聖書の他の箇所では働かざるもの、食うべからずと語られています。主は、また、マルタに、働く時間を半分にして、残りの半分は霊的な問題のために使うように勧めたわけでもありません。主は、決して、マルタが、『いろいろなこと』をしているのが良くないと教えているのではなく、そのことで、過度に気をもんだり、イライラするのはよくないことだと、気づかせてくれたのです。マルタは、仕事が多すぎたのではなく、あまりに心配しすぎていたのでした。

マリアもそこにいたのは、素晴らしいことです。マリアはもっとも良い分を選んだのです。それは主との交わりであり、マリアは物事の反対の側面を表しています。イエス様が望んだのは、マルタが、忙しく働く間も、妹に習って、心の平安を得ることでした。私たちもよく、マルタのように、回りのことで、心を奪われてしまいます。しかし、そうあるときも、私たちはマリアのように、内なるキリストとの交わりの中にあらねばなりません。男であれ、女であれ、外面は忙しくしていながら、内側ではイエス様の足元に座っていることはできるのです。これが、真の奉仕です。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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