2015年10月4日

10月4日

イエスは彼に言われた。あなたはその方を見たのです。あなたと話しているのがそれです【ヨハネ9:37】

この人は、目をしっかりと開いてイエス様を見ていました。外見から主を判断するだけでなく、しっかりと主を見ること、これ自体がまさに神の奇跡です。ガリラヤのある者は、イエスをエリヤと間違えました。さて、エリヤは行動の預言者であり、勇気と力を持って、敵に立ち向かいました。主イエス様も、はっきりした決意を態度で示しました。神の祈りの家が、金もうけのために汚されているのを見たとき、主は力づくで、商人たちを追い出しました。主は、本物のエリヤでした。

ある者は、イエス様をエレミヤだと思い込みました。エレミヤは、神の憐れみの象徴、嘆きの予言者でした。イエス様は、これにも当てはまります。主は、取税人と罪人たちとともに食事をしました。主は、罪深い女が足元で泣くことを許されました。また、マリアが泣いているのを見たとき、ご自分も涙を流されました。主は、確かにエレミヤでした。それでも、人は主の外見のみを見て、エリアやエレミヤに違いないと思い込んでしまったのです。父の啓示だけが、御子が誰なのかを私たちに教えてくれるのであって、他の何物でもありません。神を讃えましょう。本当にイエス様を見たこの男も、私たちと同じところから始まりました。『盲目に生まれついて』よいのです!

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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