2015年10月2日

10月2日

私は黙し、口を開きません。あなたが、そうなさったからです【詩篇39:9】

この言葉は、神を愛する者にふさわしい態度を示しています。神がすべてのことを働かせて益としてくださるのですから、主が私の身に起こされているのは、すべて良いことです。ですので、私はそれに抗うことなく、身をゆだね、私の受ける分が、他の人に与えられる分となぜ違うのか、尋ねようとも思いません。

愛が、神ではなく、他の何かに向けられていたら、それは、主が私に与えたいと願っている益を、押しとどめることになります。説明がないことは大した問題ではありません。神を知る道は、愛によるのであり、知識ではありません。『一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません、』主イエス様が雀を指して言われたこのことばを思い出す時、御手から渡されるものを、静かに受け取り、それを備えた主の愛に目を向けべきではないでしょうか?

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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