あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしの霊をあなたがたのうちに授ける【エゼキエル36:26, 27】
ここで、『新しい霊』を授けるという約束の後すぐに、『わたしの霊』にふれていることに、注目してください。初めの文は、死んだ霊が新しくされることを示しており、これは、信じる者の中にいのちが入ることによってなされます。二つ目は、さらに進んで、新しくされた人の心のうちに住まう、神の聖霊をさしています。
しかし、この二つは同じひとつの経験です。クリスチャンは、新しく生まれて、キリスト者としての生活の第一段階に入った後、何年も経たたないうちに、ある日突然、目を覚まし、聖霊を求めて、第二の段階に入ってゆきます。このときは、完全に主と同じ性質を持っているのです。しばらくの間、その性質がとどまるのではありません。救われた瞬間から、その性質を持ち続けます。
使徒は、私たちが聖霊を悲しませないよう、強く求めました。『悲しませる』と言葉を使い、『怒らせる』とは言わなかったところに、聖霊の愛を現したのです。それに加え、この使徒は、『聖霊を去らせないように』とは言っていません。悲しむことも、楽しむとも、霊にとっては苦しいことかもしれません。しかし、御霊は私たちの中にいつまでも住み続けます。御霊が去っていくことは、絶対にありえないのです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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