あなたがたはおのおの、いつも週の初めの日に、収入に応じて、手もとにそれをたくわえておきなさい【1コリント16:2】
ここでいう週の初めの日は、旧約聖書の安息日とは違います。1週間を省みる日でも、体を休めるだけの日でもありません。この日は、私たちが行わうべき、ふたつのことを教えてくれます。ひとつは、主なる神のみもとに集って、恵みを受けることであり、もうひとつは、主に献金を捧げることです。それは私たちが、主にあって喜ぶ日です。
献金が、月ごとではなく、週ごとに、集められるのは不思議なことではないでしょうか?神への献金を、月の終わりまで待って捧げる人が多く、中には、年の終わりまで貯めておくものもいます。しかし、パウロはこう言っています。各週の初めの日、主の前に、精算を行わなければいけません。もうひとつ、大切なのは一人一人が、収入のうちどれだけを献金するか、自由に決めてよいことです。余裕があれば、もっと多く捧げればよく、乏しければ、少なくしてよいのです。大切なことは、自分の分を喜びながら差し出すことです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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