聖書はすべて、神の霊感によるもので、…有益です。それは、神の人が、十分に整えられた者となるためです【2テモテ3:16,17】
はじめから最後まで、聖書は首尾一貫しています。人の心で考えられたことを、無秩序に並べたのではなく、神の霊の働きによってまとめられたものであり、今、私たちの手元にある聖書は、作られたときから完全に一体となっていたのです。モーセ五書がこの記録の初めに置かれています。そして、これが重要なところですが、この後に書かれたものは、この五書の上に成り立っているのであって、個別に書かれたものではありません。ヨシュア紀もこの五書を基にして成立しており、サムエル紀の著者も同じです。
著者は違っていても、旧約聖書に納められたすべての書は、その前に書かれたものの上に築かれています。そして、新約聖書に至っても、同じことが言えます。新約は、旧約を踏み板として使っています。旧約聖書を捨てて、新約聖書だけを持つことはできません。また、4つの福音書を切り取って、パウロの手紙だけを手元に置くこともできません。神は、昨日言ったことと、今日言ったことが違うことは絶対にありません。神の言葉はひとつです。はじめから終わりまで、御言葉は生きて、私たちの求めるものに応えてくださいます。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』