もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか【ガラテヤ5:25】
御霊に導かれて歩くとは、私たちの全ての行動が、聖霊の原理と道理に従うことを示しています。それが、人生の全てをはっきりと定めるようになります。善と悪には正確に決められた基準があります。天気がよくても曇っていても、正しいものは正しいのです。物事が楽しくても、苦痛であっても、間違っているものは間違っているのです。キリスト者の歩みは明確な基準に沿ったものであるべきです。
感情の中に生きるものは、原則に支配されることなく、浮ついた思いつきの感覚だけに左右されます。気分が高揚したときは、普通なら不合理と分かる行動をとってしまうことがあります。逆に、その人が落胆していると、自分の義務とはっきり知っていることすら、実行できない場合もあります。いのちの御霊の原理は、このようなことに対する神の治療なのです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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