2015年2月22日

2月22日

与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして…【ルカ6:38】

神は、どこまでも豊かに私たちの必要を満たしたいと望んでおられます。私たちがそれを受け入れればよいのです。一瞬たりとも、神に不足があると考えてはいけません。千の丘の家畜らも神のものですし、あらゆるものは神に帰属しているのです。神は与えることができないお方ではありません。神は間違いなくおできになります。しかし、私たちの方にも、しなくてはいけないことがあり、神から受けるために、満たさなければならない条件があります。神が求められるのは、私たち自身がまず与えることです。それを行って初めて、再び与えると言う神の約束がいただけるのです。

キリスト者は自分の持てる財産を、人と違うやり方で管理すべきです。世の人々は、手の内に入ってくるものを収入として計算しますが、私たちキリスト者は、外に出て行くものを利益とします。わずかばかりの収入が、不適切なものをもたらすことがよくあります。適切なものを与えることで、多くの場合、神から十分な何かをいただくことができます。あなたが何も与えなければ、主にも何かを与える義務はありません。多くの者は、神にお金を求める信仰はあっても、それを人に与える信仰を持っていません。神が与えるときは、いつでも、欲しいだけくださいます。神は、量りをよくしてくれるのみならず、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにしてくださいます。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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