私が、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか。』と尋ねると、主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。』と言われました【使徒22:10】
神による支配を知るまで、パウロはすべての教会を消滅させると言う責務を帯びていました。しかし、地に倒れ、イエス様が主であると認めた後、彼はそれまでと違う人になり、教会に属するもののひとり、ダマスコのアナニアに指示された方角に旅するまでになりました。彼が救われた瞬間、パウロは神のご支配に加えて、その憐れみをも知るようになったのです。
これほど高慢な性格だったパウロが、アナニアの言葉に従うことができたのでしょう。アナニアは、この出来事の他は聖書のどこにも出て来ない、無名のキリスト者でした。パウロが従えたのは、間違いなく、このとき既に神の支配下にあったからです。ダマスコに向かう道で神の権威と出会っていなかったら、その町に住む素性も知れないキリスト者の兄弟の言葉に従うことはなかったでしょう。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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