この奥義が…どのように栄光に富んだものであるか…この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです【コロサイ1:27】
私たちはよくこんな間違いを犯します。誰かが祝福を受けた経験を聞いて、それがどれほど貴重なものであったかを思いますが、その際、その出来事のみに目を留め、それをもたらした主を見ることを忘れてしまうのです。この結果、自分も同じ状況になって欲しいと願うあまり、敗北を味わうのです。はっきりさせましょう。主ご自身を信頼することと、形式に従うことはまったく違うのです。証しをした兄弟は、神の恵みによって、キリストとの生きたやり取りをすることができ、その結果、神の中に開放と完全な満たしを見出しました。しかし、私たちが、その人のやったことを真似ようとすれば、その経験を意味なく模倣をするだけで終わります。
形式も手順も役に立ちません。生けるキリストのみです。多くの祈りが応えられず、キリスト者のいのちが弱い理由は、主との個人的なふれあいがないことにあります。手順をなぞるだけでは不十分です。必要な経験を与えてくれるただ一人のお方のもとに行ってください!
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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