2015年2月24日

2月24日

信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました【1テモテ6:12】

私たちは、人生が変わったら、言葉でそれを告白しなければいけないと考えています。行動が変わっても、それは口頭での告白の代わりにはなりません。よくこう言う人がいます、人は行いさえよければ、神のために言葉を発しなくてもよい、と。しかし、そのような立場を取っていると、人には抜け道ができてしまいます。確かに、行いがよければ、誰もその人のことを悪くは言わないでしょうが、行いが悪くても、やはり表立って非難はしないのではないでしょうか。しかし、その人がはっきりと自分がキリスト者であると告白した後は、彼が間違った行動を取れば、世界は立ち上がって、彼の言行が一致していないと非難するでしょう。

告白をしないで行動し続けようとすることは、裏口のドアを開けたままにしておくようなものです。自分に対して批判からの逃げ道を与えることで、間違った行動をしてしまったとき、失敗を初めから予期していたことになってしまうのです。抜け道を閉じてしまいましょう!立ち上がって、主に告白しましょう。神に寄り頼んで、助けを求めることによって、自分の告白と一致した生き方ができます。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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