わたしのほかに神はいない。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる【イザヤ45:5】
この節に、非常に奇妙なことが書かれています。バビロンを征服したペルシャの王、クロスは神を知りませんでした。それなのに、ここでは主に油注がれたと記録されています。聖書の中で、油注がれるとは、その者が何か特別な目的を果たすため、神の仕事を完遂するために選ばれたことを表します。
つまり、クロスは、世界の統治者たちが、神の目にどのように映るのかを教えてくれます。彼は、神との間に個人的な関係は何もありませんでした。それでも、彼は神の手の内にあり、それは神の意思を実現するためでした。このような地上の権力は全て神の手の中にあるのです。一人の権力者が墜ちれば、別のものが立ちますが、神はその全ての上におられます。クロスについて、神は、『私の器』と言っただけでなく、『私が油注いだもの』と呼ばれました。歴史の中の国の興亡は、神がもっと高きところから決定されます。それはただ、賢く、善き目的のために行われます。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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