2015年3月7日

3月7日

ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました【1テモテ1:19】

難破した船はもう航行できません。同じように、キリスト者が神への奉仕を進められるかどうかは、自分の良心に逆らう気持ちを持っているかどうかにかかっています。神への告白がこの気持ちを消してくれます。しかし、信者がサタンの告発に左右されると、良心はそこで引っかかってしまいます。その人はもはや、神に有効な奉仕をすることはできず、それは、良心が安定を取り戻すまで続きます。

血の大切さよりも、悪魔からの告発を信じることは恐ろしい間違いです!私たちが罪を犯すとき、神の名誉を汚しています。しかし、その後で、キリストが私たちの罪のために死なれたと信じることができなければ、主をもっとひどく貶めることになります。罪を犯すのは恥ずべきことです。しかし、他の何かに平安を求めるのはもっと大きな恥です。私たちが罪を犯しながら、そのことで神の元に行かなければ、非難を受けても仕方ありません。罪を告白すれば、それ以上のそしりを受ける言われはないはずです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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