2015年3月26日

3月26日

神が私を殺しても、私は神を待ち望む【ヨブ13:15】

神が私たちに望んでいるのは、個人的な楽しみを、人生の目的としないことです。霊的な競争を走るに当たり、私たちは楽しいと感じるかどうかにかかわりなく、それを続けることが求められています。私たちの神に対する態度が、感覚や感情に影響されることがあってはなりません。信仰の人生は、どのような状況の下にあっても、神を信じて生きる人生です。

ある生き方が私たちに示された神の御心であると知りながら、それにまったく熱意を感じられないことは、いつでもあり得ることです。それを実行しながら、霊がからからに乾ききっていると感じることさえあるかもしれません。それ以上に悪いことに、主の喜びを感じたり、主の恵みを体験していると意識することがどうしてもできない場合もあります。それはまるで、行く手を妨害してやろうと敵が待ち構える暗い谷間を渡っているようなものです。そんな影の谷に入るときは、何かを疑う気持ちが起こってきますが、信仰さえあれば、神を信じ、死に瀕したときでさえ従うことができます。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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