2015年3月21日

3月21日

私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた【創世記32:30】

神はご自身の光を当てて、私たちの本当の姿を見せてくださいます。こうして、私たちはひざまずくのです。主がヤコブにペヌエルでなされたように、哀れみ深い神は、何が本当の泉であり、生きる目的であるかが分かる場所へ、私たちを連れて行ってくれます。神は、私たちの生まれつきの性質のままで、向かい合ってくださることを覚えましょう。神の光の下、私たちはありのままの姿でなくてはなりません。何かのふりをすることはできないのです。偽りはキリスト者のすることではありません。だれか違う者になりたいと思う人もいるでしょうが、生まれつきのままの姿が、ありのままの私たちなのです。違った姿に見せようと偽ることは、何よりも神を妨げます。

中には、より『へりくだる』ほど、それを自慢したい気持ちなる人もいます。それが、神に働きをうまく進める機会を与えたと思っているからです。自分を何かに見せ掛けることではなく、神が触れることによってのみ、私たちの姿は変えられます。自分で働きをしてやろうと思えば、私には何ひとつできません。『生まれたまま(natural)』何も変わらなければ、私は、不自然(unnatural)なものにしかなれないでしょう。しかし、それが神から出たはたらきであれば、神が成し遂げられた変化には、はっきりした目的と方向があります。神はヤコブから始められ、イスラエルで終わるのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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