2015年3月13日

3月13日

ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれた【ルカ10:21】

すべての福音書の中で、イエスが喜びにあふれたと記述されている箇所はここだけですから、この章から何かを学び取ることは簡単だと思います。ここにでてくるガリラヤの町々に対しては主は使命を果たすことができなかったのですが、それでも主は、聖霊によって喜びにあふれたのです。ここでの主の喜びは、現実に起こったことには関係なく、父が主に対して最善を行ってくださったことに対する感謝の表れでした。主は、ご自分の働きに満足されたからではなく、父の御心に対して喜ばれたのです。

主の喜びは私たちの力であると、聞かされています。私たちを支えてくれるのはこの喜びです。イエス様のようになるために喜びを求めなさい、ということではありません。主の喜びがそのまま、私たちの喜びとなるべきなのです。もちろん、この人生ではさまざまな出来事が起こって、悲しみをもたらすでしょう。しかし、喜びを失ったら、力も失うのではないでしょうか?私たちは主の喜びによって生きることを学ばなければなりません。それは、父の大きな満足を自分の喜びとすることを意味します。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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