2015年3月19日

3月19日

怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません【エペソ4:26】

もちろん、怒ること、罪を犯すことはどんな時も誤りです。しかし、罪を犯すことを避けるただひとつの道は、怒らないことであると考えている人も多くいるのではないでしょうか!私たちは、怒りながらも罪を犯さずにいる術を知らないだけなのです。イエス様が宮を清められたときのことで、こう言われています、『それは、あなたの家を思う熱心が私を食い尽くしたからです。』主は義憤にかられ、心をかき乱されました。しかし、なんということでしょう!霊に支配された内的な動揺を主はご存知でしたが、それを知っているキリスト者は本当に少なく、また、それと共にある霊的な権威を知るものも、ごく僅かなのです。

この世には非難、叱責を受けるべき多くの事柄があります。しかし、そのような非難する心をどうすべきか、本当に分かっているものがどれだけいるでしょう?私たちは力を失いました。人が間違いを犯したとき、その肩を叩くこと、友情からその行いに見て見ぬふりをするのは、安っぽい解決の方法です。辛抱強く、愛を持ってその人を叱るのは、犠牲を伴うこともあります。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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