2015年3月5日

3月5日

主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた【創世記4:4】

カインは、地を耕すものでした。彼の父親もエデンで同じことをしていました。アダムが大地を耕したとき、作られた作物を、神のもとに捧げていたと考えることができます。しかし、カインは、罪のためにエデンの園の外にいます。それにもかかわらず、彼は前と同じように地を耕し、前と同じように作物を作り、前と同じように神に捧げました。神はその捧げ物を受け取ることを拒否したばかりか、カイン自身をも拒絶したのです。

人が罪を犯す前にしたことは、神には受け入れられました。神の目に何よりも許しがたいのは、なんの罪を犯していないかのように、前と同じ行動をとることです。カインはこのような者でした。彼は、何事もなかったかのように、神に捧げ物をし続けたのです。罪を犯すだけでもいけないことです。しかし、そのことに気付かないのは、もっとよくありません。しかし、アベルが受け入れてもらえたのは、何かが変わったことを認めたからです。アベルの捧げ物は、自分が罪を犯し、神を喜ばせるには、血を流すことが必要だったと認めたのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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