正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです【ルカ8:15】
ここで問いが出されました。『正しい良い心』を持ちなさいと言う神からの要求と、『人の心は何よりも陰険で、それは直らない』ものであるという御言葉、この二つはどうやって折り合いをつけたらよいでしょう?しかし、種をまく人のたとえのポイントは、御言葉を受ける者は、神の目に完全に正しい人なのではなく、神に対して正しい人であるということです。心の中に何があろうと、そのような人は、ありのままの姿で、心を開いて神のもとに来る準備ができています。人は、何よりも陰険な性質をもっていますが、それでも、正直な心で神の方を向くことはできるのです。
これこそ、神が人間に求めることであり、これが意味するところは、次の主からの約束に込められています、『その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。』罪人が救われるための基本的な条件は、信じることではなく、このように正直な心を神に向けることです。神が人に求めるのはただ、このような心構えでみもとに来ることです。多くの偽りに満ちた中の真っ直ぐな心へと、よい種は落ち、そこで実を結ぶのです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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