2015年3月6日

3月6日

損になっても、立てた誓いは変えない【詩篇15:4】

立てた契約の性質がどのようなものであれ、キリスト者が一度、結んだなら、その約束は守られなければなりません。神が、自分の言葉を守られるからこそ、私たちには救いがあるのです。神は、御自分の立てた誓約に、真実であられます。ギベオンの人々は、巧妙にヨシュアを騙し、彼はその計略に気付かずに和平を結んでしまいました(ヨシュア記9章19節)。それにもかかわらず、神は、契約に立てられた事柄を重んじることを求め、後に、王サウルがその契約に従わなかったときは、雨を降らせませんでした。

神は、私たちが契約を不用意に破ることをお許しになりません。神は、ヨシュアがギベオンの人々を寛大に扱うことを求め、後に王ダビデが彼らの卑劣な行為に復讐するように求めましたが、今は、私たちが自分の言葉を真摯に守ることを願っておられ、それが自分に不利に働こうとも違える事は許されません。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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