主よ。私のくちびるを開いてください。そうすれば、私の口は、あなたの誉れを告げるでしょう【詩篇51:15】
聖歌には、うたがいのない真実、詩としての形と構造、そして、神の啓示を受ける感触がなければなりません。この詩は、ダビデの悔い改めを歌ったものですが、語られる真実は正しいもので、かつ、優れた詩として構成されています。それに加え、これを読むとき、ダビデの悔い改めの深さを知ることができます。それはこの詩が、霊の動きに触れているからであり、そのため、私たちの霊もこれに反応して動き出します。
神に対して創造的な働きをするために、基本的に必要なのは、私たちのうちにこのような反応を呼び起こすことです。また、それによって、神の現実に触れることが大切です。聖別を歌った聖歌は、聞くものの自分たちを神に捧げたいという気持ちを引き起こすべきです。礼拝を歌う聖歌は、神への崇拝の心を呼び覚ますべきものです。感謝の歌は、私たちの心にある感謝を言葉にできるものでなければなりません。ダビデは人間として生きました。幸せだったときは、喜びに躍り上がりました。悲しかったときは、泣きました。そして、許されたとき、唇を開き、神への賛美がそこからあふれ出ました。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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