2015年3月14日

3月14日

キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。私はその罪人のかしらです【1テモテ1:15】

このパウロは、信仰の戦いを戦い抜き、競争を走りぬき、信仰を守りながらも、自分を罪人のかしらと呼びました。『私は…です』と現在形で書かれています。ここに、彼が自分自身をいつもどう見ていたかが現れています。彼には、誇るところは何もありませんでした。彼は数多くの罪人に向かって明かししましたが、その人たちと同じく、神の恵みに完全により頼んだのです。

それだけではありません!彼は自分が他の者よりさらに悪いと考え、自分には誰よりも神の大きな恵みが必要であると感じていたのです。神からの光を受けるという点で、彼はほかの誰をも凌駕したと考えてよいでしょう。この事実こそが、彼に自分を厳しく判断させたとも言えます。神の光に当てられていない者は、自分がより神聖さの面で先に進んでいる考えがちです。神の光の輝きを垣間見たものは、自分自身をも、ありのままに見たのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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