2015年3月24日

3月24日

すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた【2サムエル18:33】

アブシャロムは反逆者ではありましたが、それでも息子でした。サウロがペリシテ人の手の中で死んだ時、自分の法的な王であった彼の死を、ダビデはいたみました。しかし、アブシャロムがヨアブに殺された時、裏切り者であったのに、ダビデは慰めようも無いほどの悲しみにくれました。戦いが終わったら、反逆者は罰を受けねばなりません。しかし、ダビデの父としての心は、息子が死んだ悲しみで溢れました。審判を下さねばならなかったとは言え、やはり、涙が流れました。

涙の交ざらない審判は、私たちの中にキリスト者としての愛が大きく欠けていることを表してしまいます。相手を非難するばかりで、自分も苦しむことがなければ、神の家族の中に、何かが欠落しています。悪を見逃すのは間違ったことですが、悪を行ったものに、自分で罰を与えたいと願う心はもっと悪いものです。私たちはむしろ、心から兄弟を赦さなくてはいけないと言われているのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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