2015年9月6日

9月6日

私たちはキリストを通して、賛美のいけにえを、神に絶えずささげようではありませんか【ヘブル13:15】

神への賛美は悪魔の標的となります。悪魔が祈りには抵抗しないと言っているのではありません。あなたが神への祈りを始めると、間違いなく、悪魔は割り込んできます。しかし、それ以上に悪魔は神の子供たちがする賛美を攻撃してきます。悪魔は持てる力のすべてを使って、賛美のことばがひとつも神に届かないように、妨害してきます。多くの祈りが戦いであるとすれば、賛美は勝利です。その音が響くとき、サタンは逃げてゆきます。私は、キリスト者になって初めの2年間にこのことに気付きました。それ以来、この発見が与えてくれた心の平安をいつも喜び続けています。

しかし、賛美と喜びを、まったく同じものとみなす間違いを犯さないように気を付けましょう。聖書をみてください。神は、自分を信じる民に苦しみを与えられ、その中から、多くの歌を引き出して、私たちを喜ばせてくださいます。神は、賛美を元気よく歌っているかどうかだけで、測ることはしません。その性質において、賛美とは犠牲であるからです。山の頂きに立って、約束の地を見渡し、主の御名を高めるだけでは足りません。陰の谷を歩くとき、主への信頼を詩にまとめることを学ばなければなりません。これが真実の賛美です。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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