貧しいようでも、多くの人を富ませています【2コリント6:10】
個人的な物事に関して言えば、できるだけ倹約して生きることに何の問題もありません。しかし、主への奉仕を行うに当たって、控え目になろうとするのはよくないことです。そうすると、主が大勢の人のために奇跡を行う機会を奪ってしまいます。奉仕を控えようとすれば、主の目的を、くじくだけでなく、自分のいのちも衰えさせることになります。
信仰を自分の欲求を満たすためにだけ使い、助けを必要としている人に、手を差し伸べないとしたら、キリスト者の働き手としては、あまりに役に立たないものとなっています。主に仕えるものとして、こう思うかもしれません。レビ人のように、私たちは神の人々が収入の10分の一を差し出すよう求めても良いはずだ、と。しかし、忘れがちなことですが、レビ人には、見返りとして、自分も10分の一を捧げる義務があったのです。すべてのキリスト者は、自分の持てるものは少なくても、いつも与えるものとなるべきです。与えることなく、受けるだけでは、霊的に一歩も先に進まなくなるだけです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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