彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた【使徒9:4】
なぜ、一人の人間に過ぎないサウロ、手の内には人が書いた手紙一通しか持っていなかったこの男が、ナザレのイエスを『迫害』したとまで言われたのでしょう?イエス様は天なる父の右に座しておられたのです。主は、『なぜ、私を信じるものたちを迫害するのか?』と言ったのではなく、『なぜわたしを迫害するのか』と訊かれたのです。キリストは間違いなく栄光の中におられましたが、サウロが迫害したキリストは、なぜか、地上にもおられました。
ここに最も大きな意味があります。おもてに現れませんでしたが、まさにこの場所で、タルソのサウロ はキリストの御体と対峙しました。かしらと、体の部分がひとつになったのです。キリストの御体とひとつとなるのは、未来の日、天国ではじめて実現することではありません。そうであったら、私たちは主の素晴らしさを言葉で讃えることしかできません。しかし、主が受けた迫害が示すように、これは現在の地上で現実に起こっていることです。実に、神は天国と地上、かしらと体の各部分の強い結びつきを求められすが、それは、まさにここで現実のものとなるのです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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