そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした【マタイ11:26】
『それは全く大したことではありません』と、主は言われているのではないでしょうか。『もし、私の助けを受けたコラジン、ベツサイダ、また、カペナウムの人たちが、私を知らなかったとしても、それはどうでもよいことです。バプテスマのヨハネの誤解さえも、大したことではありません。大切なことはただひとつだけ、父が私を知っていることです。父が知っておられたら、私はそれで満足です。』
天の父は、主を知っていました。しかし、イエス様はそこに加えて(27節)、主の他にだれも父を知るものはなく、また、父を知らせることのできる人もいないと言われています。主に仕える私たちの中にも似たところがあります。神に、神だけに、徹底的に知られたいと、あなたは願っていますか、それとも、自分が仕えている相手の意見を重視していますか?それがあなたの目的なら、人を神のもとに導くことはできません。しかしながら敵意、拒絶、誤解と言ったものはまったく大したことではないのです!父なる神があなたを知っており、あなたの方も、人を主のもとに向かわせるだけ、神をよく理解していれば、それで十分です。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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