2015年9月12日

9月12日

彼に信頼する者は、決して失望させられることがない【1ペテロ2:6】

十字架の上で、主イエス様は私たちの全ての恥を、その身に負われました。聖書に記録されている通り、兵士たちが着物をはぎ取ったので、十字架に付けられた時、イエス様はほとんど裸でした。これが十字架の恥辱のひとつです。罪は、私たちからきらびやかな着物を取り去って、裸にします。私たちの主は、ピラトの前で衣服をはぎ取られ、ゴルゴダの丘でも同じことをされました。

ひどい扱いを受けて、主の聖なる魂はどのように応じたでしょう?主の鋭敏な感性は傷つき、恥辱にまみれたのではないでしょうか?すべての人は、罪がもたらす栄誉を喜んで受けました。それ故、救い主は本当の恥辱を耐え忍ぶことになりました。私たちへの愛のゆえに、主は、『はずかしめをものともせずに十字架を忍び』ました。それ以来、主に信頼するものは、恥を見ることはないのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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