2015年9月1日

9月1日

彼らは、戦いで得た分捕り物を、主の宮を修理するために聖別してささげた【第一歴代誌26:27】

キリスト者の中には、その経験と神と歩んだ人生の記録が、主の人々を富ませるために大いに役に立つ人がいます。主の子供たちが病むのは教会の宝となるためであり、多くの苦しみ、困難、いらだちは、その宝をさらに増し加えるためにあります。

あるところにキリストにある姉妹がおり、その人は40年に渡って、病に伏せっていました。そのうち、35年間は、耳も聞こえていなかったのです。神に仕える者が訪れたとき、その女性はこう言いました、『以前の私はとても活発で、あちこちを駆け回り、さまざまなことをしたものでした。でも、そのころの私は教会で祈る多くの人が求めるものを満たすために何もしませんでした。ある時、すべてが変わりました。病床にあったこの40年間を通じて、私は、日々、祈りという働きに就いてきました。何ひとつ後悔はありません。』苦悩と制約が、彼女を大きく、豊かにしたのです。その豊かさは教会の富を増し加えました。この女性と同じような状況になった人もおおぜい、いるでしょう!その人たちのために神に感謝したいものです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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