2015年9月10日

9月10日

ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』とそう言いなさい【マルコ16:7】

『…とペテロに』この部分を読む時、自然に目から涙があふれ出します。なぜ、主は愛された弟子であったヨハネを選ばないのでしょう?なぜ、復活を疑ったトマスのことに触れないのでしょう?なぜ、他の多くの者の中からペテロを選び出したのでしょう?答えはただひとつ、ペテロが主を否んだからですです。

あなたがペテロだったとしたら、主を否定したことをどのように感じたでしょう?自分にこう言ったのではないでしょうか、『このペテロ、イエス様の変容をこの目で見た私、あの園で主とともにいた私、その私が主を否んだ。一度だけでなく、3度も繰り返して!しかも、主は前もって警告してくれたのに、私は主を信じなかったのだ!』自分を責めたてる罪悪感はあまりに強く、ペテロは自分が神の前に立つ資格があるか、悩んだとしても不思議はありません。イエス様ご自身が弟子たちに、『しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います』と、厳かに警告したのですから。『ペテロに…そう言いなさい』この、簡単な短い言葉がペテロに示したのは、彼と主との間の深く大きな溝に、愛によって橋が架けられたということでした。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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