2015年9月4日

9月4日

あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、また、イエスが天から来られるのを待ち望むようになったか【第1テサロニケ1:9, 10】

予言を調べる多くの学者は、主の再臨を待つすべを、本当は知りません。私が知っていたある姉妹は、西洋から来た伝道者でしたが、主がいつ現れるか、真摯に求めていました。よく覚えています。1925年の最後の日、福州市の塔の前で、私は彼女と祈っていました。『ああ、主よ』とその女性は祈りました。『あなたは本当にこの年も過ぎ去らせるのですか?1926年まで待たなければいけないのですか?一年の最後の日でもなお、あなたにお願いします。今日、来てください。』彼女の祈りがどこまでも純粋なものであるは、よく分かりました。

数ヵ月後、道端でその人と会いました。彼女は私の手を取り、こう言いました。『ニー兄弟、主がまだ、来られていないとは不思議ではありませんか?』この人の言葉から分かったのは、彼女は予言の教理を調べる研究家ではなく、主との交わりを持ち、主の再臨を真摯に待ち望む者だということです。私自身もそう変わっていきました。彼女は自分が、純粋に『再臨の預言を学ぶ者』であることを知らしめたのです。その心が待ち焦がれていたのは主ご自身でした。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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