2015年9月23日

9月23日

彼が祭司たちに対して激しい怒りをいだいたとき、突然、彼の額にらい病が現われた【第二歴代誌26:19】

思った通りのやり方で神に仕えることを許されないとき、私たちは大きな怒りを覚えることがあります!ウジヤ王は神を熱心にあがめ、心から仕えたいと願った男でしたが、それを自分のやり方で行おうと思ってしまいました。しかし、彼のやり方は、神が望むかたちではなく、ウジヤ王の怒りと努力は悲惨なかたちで終わりを迎えました。

『他の者にもできるのだ。』ウジヤ王はこう言い返したかもしれません。『私だってできるはずではないか。私が彼らより劣るとでも言うのか?』自分がどこでどう仕えるか、こんな考え方で決めてはいけません。自分に有利かどうかではなく、神の目的に見合っているかという問題なのです。ウジヤは、神への奉仕を自分の手で行うことを許されなかったとき、激高してしまいました。しかし、肉の熱は何の役にも立たないものです。ウジヤの奉仕は拒絶され、神の家に二度と入ることはありませんでした。神にもっともよく仕えることができるのは、示された御心をへりくだって受け入れるときです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。