ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た【ヨハネ1:14】
時が来て、神は人のかたちをとり、ナザレのイエスと言う人間の中にご自身を移されました。ことばが人となる前、神は満ち満ちており、限界はありせんでした。しかし、受肉が現実のものとなったとき、地上での主の働きと力は、その肉に縛られることになりました。人の子、イエス・キリストは、神を制限するでしょうか、それとも、啓示するでしょうか?聖書の中に示されているように、神の足かせとなるどころか、主は、神の完全なさまを見事に現したのでした。
それから、キリストが自分のいのちを弟子たちに分け与えるときが来ました。私たちはここから先は、働きにも制限が加わると思うかもしれません!2000年近くに渡って、神は、教会の中で働き続け、なにひとつ遮るものなく、神の栄光が現される日に向かって歩んできたのです。このことに気付いていますか?もし、気づいていれば、目を主の方に向けて、思わずこう叫んだりはしないはずです、『ああ、神様、あなたの働きを遮ってしまいました!あなたの栄光と力を、ひどく抑え込んでしまいました!どうかこれからでも、私たちを通して、あなたの栄光を思うがままに現してください!』
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』