2015年8月6日

8月6日

見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる【第1サムエル15:22】

神が人に要求することの中で、最大のものは、十字架を背負うことでも、仕えることでも、捧げものをすることでも、自分を否定することでもありません。人に対する対する最大の要求は従うことです。

ここで、サウルが捧げたのは、レビ記の中で、かおりの火によるささげ物と呼ばれているものです。これは罪とは何の関係もありません。罪の捧げものは、主へのかおりの火によるささげ物と記録されたことはないからです。こういったものは、神に受け入れていただき、また、御心を満たすために捧げられました。では、なぜ、サムエルは、捧げ物をするより、聞き従う方がよいことだと、ここで語ったのでしょう?それは、捧げものの中にさえ自分の思いが入り込むことがあり、それでは神に栄誉を帰すことも喜ばせることもできないと、それまでの人生を通じてはっきり理解できたからです。聞き従うことだけが、主に絶対的な栄誉を帰す道です。従順とは、神の御心を中心に据えることだからです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。