2015年8月18日

8月18日

むかし神に望みを置いた敬虔な婦人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです【1ペテロ3:5】

聖書の中で、『敬虔な男たち』という言葉は何度も出てきますが、私の記憶では、『敬虔な婦人たち』に直接、ふれているのはここだけです。このような言い方をしているのは興味深いことで、神の目から見て高価なものは何かを考えさせられます。ここでいう、柔和で穏やかな霊という飾り(4節)は、なぜ、神の目にここまで価値があるのでしょう?もちろん、その魅力は、イエス様の美しさから来ているです。

女性がきれいに着飾っていながら、醜い気性が現れているのは、実に見苦しいものです。使徒は、キリスト者の女性が、不注意に、また、無頓着に着飾ることを決して望まず、最大の美は、人格の美しさであることを、さりげなく気づかせようとします。さらには、心の美しさを一度、身につければ、崩れ去ることはありません。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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