2015年8月26日

8月26日

サムエルは言った。あなたは、自分では小さい者にすぎないと思ってはいても、イスラエルの諸部族のかしらではありませんか【第1サムエル15:17】

サウロがイスラエルの王国に召されたのは、ただ民衆が王を与えて欲しいと願い続けたからに他なりません。サウロは背が高く、見た目もよく、ほとんどの国民から、そのまま支配者として受け入れられる人でした。その資質について疑問はありましたが、神は、サウロに必要な手立てをすべて整え、繁栄させ、祝福しました。

しかし、言うまでもなく、サウロは試される必要がありました。誰の目にもはっきりと、神にもてはやされているように見えても、実は試されていることがあります。神に大きな助けを受けた者は、もっともへりくだった者であるべきです。しかし、時にその反対となってしまうのです。サウロの場合がそうでした。サウロは、信仰と服従、どちらの面でも失敗しました。根本的にはその失敗はうぬぼれのせいでした。サウロは困難な時期にはへりくだっていました。しかし、支配者としての成功が彼を短気、無遠慮、醜い嫉妬へと導いてゆきました。私たちがどれだけ小さな者であるか、いつでも神が教えてくださいますように!

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。