2015年8月2日

8月2日

あなたの立っている場所は、聖なる地である【出エジプト記3:5】

モーセの幕屋は、荒野の中でしかるべき場所に置かれました。そこでは、神が、移動式の幕屋の中、聖徒たちの間に住まわれ、定まった場所を持たず、定住することはありませんでした。これに対して、ソロモンが神のために、自分の国の都、エルサレムに建てた神殿は、動くことがなく、建てられたところに、とどまっていました。このうち、ひとつが今日の教会、もう片方が、神の御国における教会です。今日、私たちにあるのは、熱心な、幕屋が表わす、来るべき日の教会だけです。神殿においては、すべては新しかったのです、新しい祭壇、新しい洗盤、新しい食卓、新しい燭台、新しい香の壇がおかれていました。しかし、新しくないものがひとつありました。そこに安置されるために運び込まれたあかしの箱です。また、他の全てのものが神に更なる栄光を与えるべく、大きく作られた中、大きくできないものがひとつありました。それが箱、神の御子の証しです。その方こそ、『きのうもきょうも、いつまでも、同じ』お方です。

私は、砂漠の砂が敷かれた、幕屋の床のことを考えるのが好きです。それは、神の前の聖徒としての、私たちの人生にぴったりの場面です。まさに、今日ここで、私たちのほこりだらけの足から、キリストの証しが生まれることになるのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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