2015年8月28日

8月28日

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます【ヨハネ14:27】

神は、ご自身の中に、決して乱されることのない平安を保っておられます。パウロが語るように、その神の平安こそが、私たちの心と思いを、護衛してくれます。『護衛』という言葉は、武装した衛兵たちと戦わなければ、敵は門を破って、私のところに到達できないことを意味します。衛兵たちを倒してはじめて、私に手をかけることができます。だからこそ、私は神のように平安であろうと願うのです。神を守る平安が、私を守っているからです。

キリストの受難の前の夜のことを思い出してみましょう。すべてがおかしくなっているように思えました。友が自分を裏切るために、夜の中に、出てゆきました。怒りに任せて剣を抜くものがあり、周りにいた人たちも、関わり合いになりたくないと言わんばかりに、身を隠してしまいました。そのような最中にあって、自分を捕らえに来たものに、イエス様が投げかけたのはただ、『それはわたしです』という言葉でした。主は、取り乱すこともなく、静かな平安に満ちて、こう言われたので、むしろ、相手のほうがおののいて、後ろに下がったのでした。ですから、パウロがこの平安は人に理解できるものではないと語ったことは、驚くには値しません。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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