何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです【2コリント3:5】
神にはなすべき仕事があります。それは、あなたや私の仕事ではなく、どこか特定の教団、特定の教会団体の仕事でもありません。神ご自身の仕事なのです。パウロはかつて、自分はある責務、役割のためにキリスト・イエスに捕えられたのであり、それを自分のものにしたいという願いを口にしたことがあります。こう考えることができます。主イエス様は、各自に与える目的をもって私たちひとりひとりを捕えられます。私たちは、他の者ではなく、自分だけに与えられた目的のためにだけはたらくことを願っています。主は私たちの日常を引き受け、進んで主ととも働けるよう手助けしてくれます。
それでも、あらゆる面で主のものでしかない働きを、自分だけでやり遂げることは絶対にできません。私たちは主の同労者として参加しているに過ぎないのです。時には、神の目的を果たすために、自分では指一本を持ち上げることもできないことに気づきます。それでも、私たちには神の『協力者』という地位が与えられていることは確かです。この謎を思うとき、私たちは聖霊の満たしに、身を投げ出すしかないのです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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