2015年6月3日

6月3日

あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから【1コリント15:58】

私たちの働きが、真に神の力によって成し遂げられたなら、それは必ず結果を伴うはずです。とは言え、主によって任命を受けた後で8年、10年と働いたのに、何の目に見える成果もなかったと想像してみてください。それでも、それが神の命令であると言うだけの理由で、休むことなく働き続けることができるでしょうか?それが神のご命令であると言うだけで、仕える用意のあるものがどれだけいるでしょう?また結ばれる実を見るために働く者がどれだけいるでしょう?

神の働きはその性質上、永遠のものであって、ご自分のために働く者として、信仰を持った人間が求められます。今を生きている私たち人間にとって、神の働きを悟り、理解するのは難しいことです。それは、その永遠なる性質のためです。しかし、そのおかげで主イエス様のはたらきが、十字架で成されたことを覚えることができます。より大きなもののために、いのちを投げ出されたのです。キリスト者の働きもそのようであるべきです。今日、神は、ご自身と最後まで苦労を共にする信者を必要とされています。それは、結果が目に見えなくとも、付いていく者です。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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