2015年6月17日

6月17日

私は、主のあわれみによって信頼できる者として、意見を述べます【1コリント7:25】

神は、ご自身が造られた人間が機械のようになり、自分で行動を選択することなく、ただ言われるままに動くのものとなることを望んでいません。そのような機械を造ることは簡単なことだったでしょう。人間がそのようなものであれば、何の苦労もなかったでしょうが、同時に神の栄光もなかったことでしょう。このようなかたちの従順さ、善良さに霊的な価値はありません。失敗も罪もありませんが、神聖さもないのです。このような従順は受け身のものだからです。神はそういったものを拒絶されます。

神は命令どおりに動く機械を欲していません。神は、自由な意思を持った人間を求めています。神にとって、言葉をつかさどるものとして人を選んだことで生じる危険は、織り込み済みのものです。人間がとても複雑で、罪と弱さという多くの問題を抱えたものと知りながら、神はその御言葉を人にゆだねます。最大の苦難を通してはじめて、神は最高の栄誉を受けるのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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