わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする【黙示録3:19】
ラオデキアのキリスト者たちは、主が真に富んでいると認めたスミルナの人たちと、どれだけ違っていたのでしょう。ラオデキヤの人たちは、多くのことを誇りとする素晴らしいキリスト者となれたかもしれません。しかし、彼らが自画自賛せず、称賛は他の人に任せておけば、もっと良かったでしょう。
霊的な物事を鼻にかけるのはよくないことです。この世の富を自慢に思うことは悪くありません。紙の金は使わなければなくならないし、知らないうちに額が減ってゆくこともありません。しかし、霊的な富は、自賛するたびに消えてゆきます。キリスト者が、自分は強いと述べるとき、力はなくなります。モーセの顔が本当に輝いていても、彼はそれを知ることはないのです。私たちはいつも自分が霊的に成長しているようにと願います。しかし、自分の進歩を自分で評価するのはよくありません。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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