すべての聖徒たちが、あなたがたによろしくと言っています【2コリント13:12】
一人の人間を聖徒に変えようと試みるのは無益なことです。罪人を救ってくれたことで、主を誉め称えるのは、その罪人がキリストの体の一部となれるからです。神は、キリスト者が、ひとりだけ、孤立したままでいることに満足されません。神の願いはただ一人の方にあり、小さな人間たちのあるじとなることではありません。十字架と復活は私たちを御体へと向かわせます。
そのとおりに、実践しなくてはいけません。ロンドンについて書かれた本を読んでも、その街に行ったことにはならないように、また、たくさんのレシピが載っている本を持っていても、台所に入らなければ何の価値もないのと同じで、私たちも、キリストの御体について教えられたことを信じるだけでは十分ではありません。清くなることを学んで、他の信者とともに、実践することが必要です。個人的な目標は捨て去って、他の人たちとともに動き、仕えることを学ばなければなりません。このとき、キリストにあるものを聖霊によって増し加えていただくだけでなく、時には、自分のうちから何かが、痛みとともに取り去られるでしょう。それは、十字架によって消えるべきものなのです。しかし、痛みがあってもなくても、私たちは御体の一部として行うべきことを実践しようではありませんか。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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