2015年6月22日

6月22日

しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられたのです。【ガラテヤ6:14】

神は、あなたと私のところに来て、キリストが完成された働きを見せてくださいます。そのとき、神は、キリストともに十字架に付けられた私たちの姿を見せるだけではありません。主は、そこに私たちの世界をも示されます。もし、あなたと私が十字架のさばきから逃れることができなければ、世界もその裁きを逃れることはできません。とは言え、私は自分が愛する世界を否定しようとしているのではありません。十字架が世界を否定しているのです。私は自分にまとわりつく世界から逃れようとしてはいません。十字架によって、私は既に逃れたのです。

質問させてください。あなたの仕事は何ですか?商人ですか?医者ですか?農夫ですか?この呼びかけから逃げないでください。肉体は世界から切り離されていても、霊的にも切り離されることにはなりません。その逆もまた正しく、この世と肉体的にはつながっているからと言って、霊も世界に捕えられているわけではありません。エデンの園には、人が作った壁はなく、サタンの侵入を防ぐことができませんでした。神は、アダムとイブが自分たちで、『そこを守り、』敵に対する壁を心の中に立てることを期待されたのです。今日、キリストを通して、神は、ご自分であがなわれた人々の心の中にエデンを計画され、その中で、サタンがついに人の心に入り込むことができなくなるのです。これは大きな勝利です。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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