2015年6月10日

6月10日

私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者である【黙示録1:9】

黙示録6章10節で、『いつまでですか?』と言う叫びが聞かれます。こう嘆くものは、それ以上忍耐を続けることは、とても無理だと感じているのです。彼らは、復讐と裁きを下すことを求めて泣き叫んでいます。もしも、忍耐を失うことが許されるとしたら、それは生きている聖徒ではなく、死せる聖徒から許されます。死者の方がずっと長く待っていたからです。それでもなお、彼らは忍耐のときはまだ、終わっていないと告げられています。

裁きについて多くのことが書かれている本の終わりに、ヨハネが自分を、イエスにある忍耐にあずかっている者と呼んでいることは特別な意味があります。裁きが執行されるとすぐに、忍耐は必要なくなります。ヨハネは、裁きについて書こうとしていた時、彼はまだ忍耐が必要な世界に生きていることを告げたのです。神がその怒りを地上に注ぐとき、忍耐の時は終わりを告げるでしょう。それまでの間、主はご自分の民にも、その忍耐にあずかるよう呼びかけられています。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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